ブログ「英雄として死にたい」の事

  • ゼンマイ
    ある昼ドラみたいな平凡な映画が、「英雄として死にたい」のブログを作った。

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1行紹介

~どうせ死ぬなら【英雄として死にたい】~。私の生き様として、英雄になれるなら死をも選ぶ。

自己紹介文

自分の心に浮かんだ事や、心が動かされた時に、気が向くままに書いていますので、内容が意味不明だったり、他の人が読んだら理解出来無いとかあると思っていますが、本人は全く気にしていないのです。なんせ、私は、人にどう思われようが、自分の信念に基づいて考え、行動することを基本にしてるからです。
でも、社会常識の範囲以です。

私の生きる事についての信念は、「自分が正しいと思った事は貫く」ですが、これは、この信念は多数決の社会的にはでは損しますね。実際には完全には出来ませんが、とにかく損なのです。
なぜ、こうなったらは、母の口癖だったのです。子供の時から聞かされていたのです。『自分が正しいと思ったら、相手が100人だろうが1000人いようが自分が一人でも貫け』なんです。

だからなんです。母の生まれた時の家は村長だったから、それなりの家でその昔はとなると、幕末の武士の家柄と思われますね、父の名前なんて家の墓石からとっていますし、年代は父の父は明治一桁生まれでその前の父から取っているから江戸時代の後半と言うことです。名前からして時代劇の素浪人みたいだか侍の名前なんです。また亡くなった御婆様も昔は、家の中では座る場所が決まっていて、もし違う所に座ったら大変な事になったと言っていました。

話しは、前に戻りますが幕末に起きた戊辰戦争では、会津藩には到底勝目はないことは、分かっていた事。でも、信念を貫いた。二本松藩なんて、城主以下家老が全て自害なんて、今思うと凄すぎけど、そのDNAが入っているのでしょうかね。

ところで、この戊辰戦争の中でも会津の戦争は、何で戦ったかと言うことになりますね。
はっきり言って、この時は官軍も幕府軍も言っていることはそんなに違わなかったと思っていますし、話あえばすんだとも思っています。それは、外国の勢力にどう対処するかと言うことで今の幕府ではダメだと言っている方もあり、天皇を担ぎ出したり、じゃあ一緒に公武合体なんて言っている始末でした。そして、江戸城もあっさり開城して官軍の少し拍子抜けしたでしょうね、

どうして、会津の武士たちは、勝ち目の無い戦いをしたかですね。勝てるとは誰も思って居なかったでしょう。江戸城も開城したしね。

それは、勝ち負けではなかったのです。要するに藩主、徳川慶喜公を賊軍と呼ばわりしたことを許せなかったのです。我らの藩主こそが正義だと言う信念だけだったのです。
会津の侍たちは、純粋に武士とし生きて人生を全うしていました。全ては武士の掟に基づいていたのです。

当然にごとく起きるべきして起きた会津戦争だったのです。
この会津の侍たちは、藩主の慶喜公は正義だということを証明する必要がありました。
それをしなくては、会津の侍たちは生きて生けないのです。それをせずに生きることは、自分の心に背くことだったのです。それは「嘘つきになる」と言うことです。

会津の侍には、自らの心を偽って生きることはできません。
藩主、慶喜公の正義を証明することは、自らの正義を証明することでした。
そして、正義を証明するために、究極の選択をしたのです。

会津の侍たちが戦ったのは、官軍であり又自らの正義を証明することでした。

正義の心を守りたかったのだ。

「どうせ、死ぬなら英雄として死にたい!」
これが、私のブログプロフィールとなる。

*少しは刺激的にブログタイト書いてみた。
 ブログタイトルに負けないように!
 「英雄として死にたい」

興味のあること

登山、ロシア文学が好き、起業、トレーニング、散策、球体人形(作品に魅入って小さなアルバムを作ってしまった)、詩(ある方の作品で、心が惹かれる)